トイレの話

初投稿がトイレの話かよ、と思われるかもしれないがまあ自己紹介がわりだと思って読んでいただきたい。

 
私には嫌いなトイレがある。
それは人感センサーを搭載していて、立つと瞬時に流しにかかるトイレである。
立って1秒後にはもう流れているのだから、ゆっくり拭いてペーパーを捨てるなんてことは不可能に近い。
私は「ああ」と情けない声を出しながら焦ることしかできないのである。
 
なぜそんなに瞬時に流してしまうのか。
人間には必ず、立ち上がった後に拭いて捨てるという一連の行動があるはずだ。
立った直後に流されてはペーパーを捨てる暇がないということは、考えればすぐに分かることだ。
なのになぜこのトイレは優秀すぎる人感センサーをもって我々を急き立ててくるのだろうか。
 
もしかして開発者たちは立ち上がって拭いて捨てるというルーティンを実行してしないのかもしれない。そうなるとなんだかトイレでの一連の動作について考え始めてしまう。
扉を開ける、便座に座る、用をたす、立ち上がる、拭く、捨てる、流す。
私はこの流れをごく当たり前の、日本人なら必ず行う動作だと思っている。
 
だがもしも、それが全て私の思い込みだとしたら?
 
もしかしたら、この一連の動きは私しかしていない動きなのかもしれないのである。
いやトイレだけの話ではない。
日常における全ての行動が、私が当たり前だと思って当たり前にやっている行動が、すべて私しかやっていないことかもしれないのだ。
 
 
そう考えはじめると、なんだか世界の全てが揺らいでくるような気がしてきた。
トイレおそるべし。
 
 
 
なんだか話がおかしな方向に行ってしまった。
最初はただ不満を書き散らそうとだけと思っていたのだが、まさかたかだか水洗トイレの話で世界が確実性を失うとは完全に予想外であった。
 
皆様も驚くとともにこいつ頭おかしいんじゃねえのか、と思われるかもしれないが私自身同意見である。